疲れたら 休め

気づけば1年も書かずにいました。

 

僕は自分のことを見失いがちなので、書くことをとても大切にしたいのだけど、感情を整理したり表現することにすごくエネルギーを使ってしまうから、思い立ってもなかなか、表に出すに至らず終わってしまいます。

 

そうして自分の本音らしいものを遠ざけているあいだに、仕事が忙しくなったり、いろんなところで声をかけてもらったり。楽しいことも多いのですが、ちょっと調子を悪くしてしまいました。

 

うまく話せなかったり

ちゃんと眠れなかったり

意識が散漫としてたり

すぐ返事できなかったり←特にここ、みなさまごめんなさい…

 

自分がちょっと遠くにいってしまった気がします(わかる人にはわかりますかね…)。

 

数ヶ月前からなんとなく異変に気づいていたのですが、今月に入って経験上「ヤバい」感覚が身体を走ったので、まずは状況と今後についてだけでも文字に起こすことにしました。

 

まだいける、といえば、いける、のですが、少しセーブしていきたいと思います。

 

と言っても、基本的にはこれまでと変わりません。仕事もするし、諸々やってることも続けます。続けたいです。

 

ただ、続けていくためにも、意図的にペースを制限したり工夫しないといけない気がします。少なくとも僕の場合。

 

自分が強くないのもよく知っているし、強くないのがいいところくらいにも思ってます。だからこそ、自分に目をかけることが大切だと再認識しました。

 

だから、断っちゃったり、100%じゃなかったり、(今後も)返事遅かったりすると思いますが、どうかご容赦いただければと思います…。

 

あんまりこんなこと言うもんじゃないのかもしれませんが、どうせダメなら騙し騙しやるより宣言しちゃったほうがいいような気がしたので…。すみませんが今後ともよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

明日はライブだー!

それでも僕は投票してほしい。一票を投じる少数派の、上からメッセージです。

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2週間ほど前から落ち着かない日々を過ごしている。

胸のあたりがどうも詰まっていて、なにも手に付かない。

いよいよ今日は仕事中だというのに感極まって、トイレに逃げ込んでしまった。

 

選挙期間というのは、どうも苦手だ。

 

 

52.66%。
僕にとってはじめての投票であった2年前の衆議院議員選挙は、過去最低の投票率を記録。国民の約半数だけの声によって選ばれた人々で構成された政治の舞台で、この2年間、多くの変化が起こりました。

 

その数々の変革は私たちが望むものだったでしょうか。

人によって感じ方は違うかと思いますが、安全保障関連法案へ説明不足と答えた国民が80%にものぼったのは事実です。

 

そして多くの若者が声を枯らしました。その姿を腰の引けてきたメディアさえも取り上げました。今も賛否はあるけれど、若者たちの決死の努力によって取り上げざるを得ない規模まで、そして国会で演説するまでに影響力を持ちました。

 

良くも悪くも、この2年で僕らは学んだ。政治の動向を注視していかなければいけないし、青臭くとも意見を発していくことが大切で、その大きなチャンスである選挙には前向きに参加していくべきだと。

 

2年前とは違う。そう思って迎えた僕の今回の選挙は、この一言から始まった。

 

 

「投票の呼びかけとかされると、二度と行きたくなくなりませんか?」

  

 

 

唖然としてしまった。

そして熱っぽく言い伏せてしまったけど、今は彼の言いたかったことが少し理解できる。
これは若者の貴重な意見のひとつだ、それも決して少ない数ではない―。

 

むしろ「投票しましょう」なんて言うのが世間から見たらおかしいのかもしれない。
前回の20代の投票率は32%。つまり僕や投票を呼びかけていたその学生たちは少数派なんだ。

 

そんな奴らがわざわざ用意してくる義務かのような押しつけがましい選挙ムードに嫌気がさしているのを、決して興味がないわけではないのに逆撫でされたような気分になって足が遠のいてしまっているのを、今はなんとなくわかっている。…違うかもしれないけど。

 

 

 

それでも、それでも僕は投票してほしい

投票用紙は存在証明書だ。あなたが一票を投じなければ、あなたは政治の世界では存在しないも同然なんだ。あなたの意見を反映する必要が、残念ながら皆無に等しくなってしまうんだ。

 

最初なんだから、わからなくていいんです。政治の全体像が見えないから、せっかくもらった一票をどうしていいのかわからないのかもしれないけど(もらった、という表現は本来好ましくないですね)。

その上で、自分なりにできる範囲で調べてみてほしいです。僕は投票をする上で大切なのは「ベストな暫定解」を提示することだと思っています。僕だってまだまだわからないことだらけ。それでも既に投票してきました。

僕らが大人やお年寄りに比べ政治のことがわからないのは当たり前なことで。彼らに比べ経験してきたライフステージの数が違う。判断材料の数が違う。恥じることではありません。

 

与党は争点を「経済」と言います。そうかもしれない。
野党は争点を「改憲」と言います。そうかもしれない。

みなさんはどう思いますか?

 他にも、この国は多くの問題を抱えていて、議論すべきことは山ほどあります。
雇用環境、子育て環境、社会福祉制度、教育制度、原発、米軍基地、領土問題…

 

難しい言葉を並べられると嫌になっちゃいますよね。
僕も説明しろと言われたらどこまで説明できるだろうか…。
だから、こう考えてみましょうか。

あなたにとっての心配事や希望はなんですか?

思い浮かんだものを考えていくうちに、ややこしい単語にぶち当たると思います。調べるのはそこからでもいいです。最初からもっともらしい理論を組み立てなくていいんです。

 

あなたの一票では日本は変わらないかもしれない。

ただ、あなたが投票をしないことで望まない方向に進む可能性はほんの少しだけ大きくなるし、あとから「こう思ってたのに!」なんて最大の意思表明の機会をスルーして言うのはちょっとかっこ悪いような気もします。一票で変わるのは自分自身の意識です。

 

僕自身まだまだ勉強不足で、偉そうなことが言える立場じゃありません。ただ、今できる一票、今できる答えを提示することが選挙では大切なんだと思います。そんであとで一喜一憂するんだ。

 

僕は、たった半分の人たちの判断で世界が変わっていってしまうのがとても悲しい

どうか投票に行ってください。

 

一票を投じる一人の、22歳の、若者からの、上から目線の戯れ言です。

 お付き合いいただきありがとうございました。

 

 

波多腰 遥(@h2hahaha

 

長野駅前に現れた愚痴聞き屋は誰でも「ただの一般人」扱いする最高のサードプレイスだった。

5月中旬、Facebookで突如こんなイベントの招待が届きました。

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イベントタイトルは「愚痴聞き屋」。バナー写真のブラックボードには「無料で愚痴聞きます。」の文字。なにこれ、おもしろそうじゃないですか。


とは言えここは長野県。県庁所在地でありながら閑散としている長野駅前は、どこの駅でもゲリラ的にアコースティックライブや異様にテンションの高い募金集団が出現する花の都・大東京とはワケが違います。

 

こんな一風変わった企画が長野で本当に開催されるのだろうか。半ば疑いながら駅前に足を運んでみると…。

 

 

 

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いた。

しかしこの距離では絡まれて正座させられているようにしか見えないので慎重に接近。どうやら偶然通りかかったサラリーマンの方々の話を聞いていたようです。

 

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 件のブラックボードも持参。やはり彼らは無料で愚痴を聞いているようです。

 

「無料で愚痴聞いてくれるって」

「聞いてもらえばいいじゃん」


並んで座る彼らを見て歩く速度を緩め、指を差していく。通りすがりの人たちはみな興味津々です。「どうっすかお兄さん!」と明るく声をかけますが近寄る人はやはり少ないですね。

 

そんななかでも彼らに近寄る人たちが最初に口にするのは「なんでこんなことやってるの?」。そりゃあそうだ、気になるわな。なにが好きで見ず知らずの人の愚痴なんか聞いてるのだろうか。

 

「趣味です」

 

「ええーなにそれ!?変わってるね」。そんなやりとりから会話がスタート。  

 

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 そもそもこの愚痴聞き屋は、Facebookの サードプレイス in NAGANO というグループで発信された企画。

サードプレイス(3rd place)
家族などと衣食住を営む「自宅」をファーストプレイス、仕事をする「職場」や勉強する「学校」をセカンドプレイスとしたとき、サードプレイスは「自宅や職場とは隔離された、居心地のよい場所」と定義される。条件や特徴は環境により異なるが、サードプレイスを持つことは総じてライフスタイルに変化を与え、第1、第2の場所での活動をより円滑・充実したものにするとされている。(参考:wikipedia

 

近年注目されているこの言葉。一般的に多くの環境(逃げ場とも言える)を持つことがリスクの軽減や人生の充実につながるとされています。

例えば家と職場の往復だけの生活を送っていた人が定年を迎えると、居場所がなくなって喪失感に駆られてしまう、なんて話を聞きますよね。

多くの環境を持つことで自分を表現する場所が増え、主観的にも客観的にも自分を多面的に捉えることができるようになります。そのうちの一つを失ったとしても、他にも複数の居場所を持っていればダメージも小さい。

 

この企画以前から彼らが立ち上げたこのFacebookグループには入っていたのですが、愚痴聞き屋とサードプレイスの関連性はこの場に来るまではいまいちわかっていませんでした。だけど気付かされました、サードプレイスの本質を。

  

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 愚痴聞きに来る人は会社のお偉いさんから学生まで様々。悩みも十人十色です。

その一つひとつに、彼らは本当に、本当に平等に応えていきました。

 

自分より年下の生意気な学生には容赦なくズカズカと接するし、誰もが知っている会社の社長にも遠慮することなく自分の意見を口にする。

 

愚痴聞き屋の一人、奥山さんはFacebook後日談を書いていました。

 

『サードプレイスの役割の一つには、「日頃背負っている役割からの解放」というものがあると誰かが言ってました。 中学生も社長も、愚痴聞き屋の前ではただの一般人です。平等です。僕たちは同じ目線で会話をしています。』

 

歳も重ね会社でそれなりに立場のある人はその環境が般化していて、でもそこにどこか息苦しさを感じている。自分が抱えている肩書や責任を守るために、無意識のうちに自分に仮面を被せている。

 だからこそ彼らは平等に接する。ただの一般人扱いする。愚痴の奥にある、自分自身でも気づいていない本当の感情や価値観を引き出すために。

 家や学校・職場といった、普段過ごしている環境では露わにできない一面をオープンにできる場所、それが愚痴聞き屋であって、それが最高のサードプレイスなんだと。そう感じさせられました。

 

愚痴を聞くのが趣味っていうのも全く嘘ではなくて、彼らはきっと人の持っているホンネの部分に触れるのが好きなんです。

 

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 「えー、もう帰っちゃうの?」

なんて高校生たちに言われながら予定の時間を大幅にオーバーしてこの日は終了。

越坂さん、奥山さん、小林さん、ありがとうございました!

 

 そしてこのたび 第三回愚痴聞き屋 が開催決定。明日6/18(土)の19時半より長野駅前C-oneビル横に彼らが現れます。僕もまた見学させてもらう予定です。

鬱憤の溜まっている方、本音で話をしたい方、単純に彼らに興味のある方。とりあえず駅前に足を運んでみてはいかがでしょうか。

 

 

 ハタコシ(@h2_hahaha